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平成から令和へ 新時代
日本、日本人はどうあるべきか? 考えて行こう。
2019年も、もうすぐ終わる。この2019年と言う年は、平成から令和へと年号が変わり、日本人にとっては、特別な年であると思う。平成と言う時代は、日本にとっては、昭和が「激動、急成長」とすれば、「安定、停滞」と言う言葉が、私には思い浮かぶ。悲観的な言い方かもしれないが、人口が増加した昭和に対し、平成の後半では減少し、生産人口の比率も著しく低下している。普通に考えて、これで国力が向上し、経済的成長を見込むのは難しい時代に入っていると思う。2050年には、人口が1億人を切るくらいになると推測されている。学者の中には、日本の適正人口は、5,500万人という者もいる。私には、この数値の妥当性は分からないが、人口が減少して行く中で、日本が、日本人がどうあるべきか?を考えて、それを次世代に伝えたいと思っている。以下の内容は、私見である。人によっては、間違いだと思う部分もあるだろうし、異論もあるはずだ。でも、私の考えが正しいとか間違っているとかを追求するのではなく、こういう感性の持ち主もいるということを認めて頂ければ有難い。
昭和と平成を振り返って思うこと
平成を「安定・停滞」と私は表現したが、昭和は、戦後、高度経済成長と経済的には急成長した。戦後の焼け野原から、先人達が日本のシステム・基盤・社会構造を作ってくれた。良くも悪くも、理想も現実も清廉さも汚濁も飲み込んで、激流・激動の中で作り上げたと思う。例えば、大きなダムの建設は、必ず犠牲者・死亡者を出した。そんなことは、今は決して出来ない。このことについての賛否はあると思うが、昭和の目的に対する純粋さ、強引さ、悪く言えば、他の事に対する考慮の無さが、負の遺産を残しつつも日本の経済・教育・文化を成長させたのだと思う。
昭和が終わり、平成になったのが、私が高校1年生の時だった。その年、ルーマニア革命で、チャウシェスク大統領が失脚し、銃により公開処刑されたことは、残酷に感じたが、それ以上に東西冷戦関係が崩れ行き、世界が変わる時に、自分がいるという衝撃の方が強かった。そして、ベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊は、これから世界はどうなるのだろう?と、無知な大学生ながら、それなりに考えた。そうは思っていたが、対岸の火事に感じていた。恐らく、当時はインターネットもなく、私の目や耳に入る情報、それに対する人々の様々な意見が少なかったのも原因だと思う。しかし、昭和から平成に移ったこの数年は、私の10代後半という多感さや、大きく変化した自身の環境や、精神的な成長も関与して、自分も世界もまさに「激動」だったと、今でも思う。
平成の「停滞」と「安定」
それに対して、平成、特にバブル崩壊後、日本全体が少し臆病になってしまった気がする。更に、リーマンショックもあり、日本経済は「停滞」してしまった感がある。確かに、戦後、全てを失って、突き進むしかなかった状況とは違い、会社や個人が、経済的安定や積み上げてきた地位、自尊心や自信を手にしている中で、自己の命を投げうって挑戦するのは極めて難しいものであろう。かく言う私も、今の生活環境や仕事を変えてしまうような行動を起こす勇気はない。平成と言う時代は、私も含め「現状維持」と言うものに少しばかり偏重してしまったと感じる。「空気を読め」と言う言葉も、周囲の雰囲気を感じて、それを乱すような自分の本性や意志や行動を隠したり、抑えたりすることであり、全体で物事を円滑に進めるには必要な場合もあるが、これが行き過ぎると、各人のそれぞれの立場や考え方の違いによる意見の交換も出来なくなり、全体も個人も「停滞」してしまう。「忖度」という言葉も、開放されていない空間での「停滞」をイメージさせるものがある。ここまで、平成の負の部分を述べてきたが、当然、良い部分もある。いや、良い時代だったからこそ、今、日本は平和で安定していると断言したい。
平成の良さを引き継いで、令和への躍進
平成では、日本は戦争をしなかった。日本だけが戦争をしなければ良いと言う話ではないが、勿論、令和でもそうあって欲しい。平和な世界の中で、お互いの立場を尊重し、自他の存在の価値を確かめた時代だったと思う。令和は、そこを更に踏み込んで、自分や周囲の価値を認めるだけでなく、一人一人がその人の特性を活かす能力を磨き、更にその価値を高め合う「自他共栄」を目指すべきと感じる。日本の人口は減少して行く、その中でパイを奪い合う必要はないだろう。ましてや、AIにより今ある仕事は、かなり置き換えられる。仕事のパイは確実に減少するのである。でも、そこで嘆いていても始まらない。そういう「現状維持」や「停滞」から脱却して、パイがないなら、新しいパイを作ってしまえば良いと言う発想を持つ人がもっと増えて欲しい。競争や競合で、他人から何かを奪うのではなく、自分で生産し、更に、自分以外の人にも生産してもらう。そういう心意気を、私自身も持って、前進して行きたい。