理想の指導者

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 今週は、難しい話です。正直、小学生や中学生には、わからないかもです。高校生なら、わかってもらえるかな?って感じです。

リーダーのあるべき姿を考えてみよう♪

理想のリーダー 

リーダーは様々なタイプがあって良い。 

 こういう職業に就いているから、指導者、リーダーのあるべき姿を良く考える。色々なタイプのリーダーがいて、その人その人の性格や哲学で、色々な方法論があって良いと思う。今の時代、指導者は、自分はこういう考えで、こんな指導を行っていると知らせて、選択してもらう形にするのが良いと思う。でも、指導を受ける者が自分の意思で選択できないことが多いのが現状だ。その現状は、どうにもならない部分が多かったりするので、ここでは、そこには触れない。今回は、私が思う理想の指導者、リーダーについて書いていこうと思う。

私の理想は「試合中寝ている監督」 

 プロ野球の監督が、良くリーダー論で題材になるが、僕は、試合中何もしないで寝ている監督が最高だと思う。どういうことか言うと、試合前に選手達に技術的な事は勿論、心構え、場合場合の対処方法をひとつではなく2つ、3つ、相手の選手の弱点をつく方法をきっちりと教え、あとは「お前達のゲームだから、好きにしていいよ。俺は寝てるから。」と選手に言い、全面的な信用をおけるほどの選手達を選手自身と作り上げ、選手は選手で、のびのびと自分達の考えるプレイを実行できることができれば、そのチームは絶対優勝すると思う。でも、実際のところ、プロ野球でさえ、選手は監督の思い通りに動いてくれないし、選手も監督の意図を全て分かっているわけではない。試合中、寝ている監督は、究極の理想であるが、現実には、そんな監督はいるはずもなく、ベンチの中で戦況を見つめ、熱くなっている人がほとんどである。

信頼されなければいけない。 

 前述の「試合中寝ている監督」であるが、これは普通なら許されるものではない。選手やコーチ陣からの絶大なる信頼がなければならない。つまり、リーダーの条件のひとつとして、信頼されることが挙げられる。これは、絶対に必要だと思う。信頼される面は、理論、哲学、方法論、実践力など、様々であるが、「この人はすごい。」「この人について行けば、大丈夫。」と思われることが不可欠である。これが無ければ、人はついて来ないと思う。実力で信頼を得られなければ、リーダーとしては失格だと思う。でも、その自分の実力や経験に胡坐をかき、慢心しているようでは、周りから見限られてしまう。自分を慧眼の士であると思ってはいけないが、自分の目の前で起こっている小さな変化を逃さないように、注意深く物事を観察し、感じ、考えて、慧眼を得ようとする努力は続けなければならない。自分の過去の実力や経験だけで、物事を語ってはならない。プロ野球の解説者で、キャンプや練習や試合を見もしないで、自分が現役のときの経験だけで話をする人もいるが、そういう解説者は、今の時代、淘汰されてしまう。昔の名前で売れる時代ではないのだ。だけど、先日、お亡くなりになった関根順三さんをはじめ、御年を重ねても、自分の足で現場に行き、見て、取材する人もいる。御大と呼ばれるような立場でも、常に新しいものを求めて、自ら動いている人もいるのだ。そういう人の解説は、経験の豊富さによる視聴者が知らない昔の話と取材で得た新しい情報があり、奥深さを感じられ、楽しい。私も、そのような姿勢でありたい。所謂、過去の栄光にすがり付いているような老害には、なってはいけないのだ。

慧眼

 先の段落で、慧眼と言う言葉を使ったが、あまり聞きなれないと思うので説明する。「物事の本質を鋭く見抜く力」を意味する言葉である。仏教用語では「えげん」と呼ばれているが、 「五眼(ごげん)」という仏教用語の「物を見る五種の作用のこと」の中のひとつである。恐らく「五眼」が何か?気になった人もいると思うので、「五眼」について説明する。

 ①人間の所有している「肉眼(にくげん)」

現実の色形を見る眼

②色界の天人の所有している「天眼(てんげん)」

三世十方を見とおす眼

※色界(しきかい)…欲望を離れた正常な清浄の世界のこと

※三世十方(さんぜじっぽう)…三世は過去・現在・未来、十方は東西南北・上下・東西南北それぞれの間の四維の十方向のこと

③一切の現象は空であると達観する二乗の「慧眼(えげん)」

真理の平等を見抜く眼

※二乗…声聞乗(釈尊の教えを直接聞き実践すること)と縁覚乗(単独で悟りを開き実践すること)のこと

④菩薩が衆生を救うために一切の法門を照らし見るための「法眼(ほうげん)」

現象の差別を見分ける眼

※菩薩…真実の幸福を求める人

※法門…仏の教え、仏教の教派の分類のこと

⑤一切を見とおす仏陀の所有する「仏眼(ぶつげん)」

上記4つすべての眼を備えた悟りを開いたものの眼

※仏陀…悟りを得た者のこと、主に釈迦のこと

以上は、豆知識と思ってくれれば良いと思う。

固定観念で、物事を見てはいけない。 

 そして、これも慧眼に関することであるが、固定観念を持たず、柔軟に物事に対応することも必要だ。沈みゆく船には誰も乗らない。リーダーは、自分の船が沈まないよう、進むように、常に考えなければならない。順風満帆の状況下では、誰がリーダーでも物事は上手く行く。ピンチのときにどうリーダーが動くか?が大切なのだ。固定観念に囚われて、発想が貧困になってしまえば、新たな道は切り開かれない。そして、仮に、決断したことが間違っていた場合、素直に、間違いを認め、訂正し、間違った方向に行くのではなく、自分の船が正しい方向に、一緒に船に乗っている人達にとって最善であると考える方向に、舵を切り、進むことが大切だ。自分の面子など、二の次で、「最善の結果を求めることを第一に考える。」ことがリーダーに求められることであり、それには、固定観念を捨て、物事の本質を見ようとし、柔軟に動こうとする姿勢が欠かせない。社長だからと言って、社長室の椅子に座り、偉そうにふんぞり返り、物事を見ようとしなければ、その会社は潰れてしまうと言うことだ。常に向上心と問題意識を持ち、今、そして、これから何が必要か?を考え、準備をして行くことも求められる。まさに、これも慧眼である。

リーダーが見せるべきものは、希望と覚悟 

 準備と言えば、新型コロナウィルスの対策として、日本政府の準備は、素人から見ても、褒められたものではない。初めて経験することであるから予知が難しく、その対応は後手後手になるのは仕方ない。緊急事態宣言をして、国民に外出自粛や休業要請をするのは当然のことだと思うが、要請が先で、補償が後では、多くの国民が困窮してしまう。私だって、少ない蓄えで凌いでいるだけだ。緊急事態宣言が解除されたあとに、補償金が届くなんて、これは順番が違うと思う。そして、アベノマスクで数百億を使い、未だそのマスクは私の手元には届いていない。代わりに、税金の請求は、届いた。固定資産税、自動車税等の請求は届き、何故、10万円の補償金は未だに届かないのだろう?と思ってしまう。いや、本質は、金の問題ではなく、覚悟の問題なのだ。国民を納得させられない総理大臣は、リーダーとしては失格なのだ。この有事の事態で、政治のリーダーに一番必要なのは、覚悟と責任を国民に見せることだ。各都道府県の知事の方々は、頑張っていらっしゃると思う。我が群馬県の山本知事には、私から見ても、覚悟と責任を感じるが、安倍首相には、それを感じない。私は特段、山本知事の支持者ではないが、山本知事からは緊張感・危機感を見て取れる。しかし、安倍首相からは、それらを見ることができない。どちらに、信用が置けるか?と言ったら、当然、山本知事である。この局面では、致し方ない事で、施策の面で不十分ではあるが、群馬県は、この有事で、良いリーダーを持ったと思う。彼は、希望を見せてくれる。だから、この難局を乗り越えようと思えるのである。リーダーは、希望を見せないといけないのである。


リーダーは優しさがなくてはならない。 

適材適所を見極める 

 以上までは、リーダー自身の持つべき資質についての話だが、一人だけで物事を進めるわけではない、皆と力を合わせて前進して行くのである。ひとりだけで突っ走っては、リーダーではない。それには何が必要か?仲間や部下を信じることだろうか?いや、私はそうは思わない。仲間や部下の能力は、各々違う。ある分野では、非常に力を発揮できるが、違う分野だと全くダメという人間もいれば、オールマイティーに能力を発揮する人間もいる。ひとりの人間を見ても、まだ未発達の能力があり、それを磨くことで大きくその人が変わることもある。そういう、それぞれの持っている能力を見て、適材適所に置き、個人が組織のために能力を発揮できるように、組織は個人のために環境を作ることがリーダーのすべきことである。これは、お互いがお互いを信じ合うとか言う問題ではない。リーダーは、周囲からの信頼がなければいけないが、リーダーが周囲を信じ過ぎてはいけないのだ。そうかと言って、部下に、自分は信頼されてないと思わせてはいけない。各人の能力を見て、仕事を任せ、任せた仕事に関しては、終わるまで、口出しせず待つべきなのである。

優しさこそが一番必要 

 こう書くと、リーダーは冷酷でなければならないのか?と思うかもしれないが、確かに、そういう一面はあると思う。しかし、情がないと、人はついて来ない。リーダーには優しさが必要なのだ。優しさこそが、一番必要なのかもしれない。やはり、自分のために、何かをしてくれたり、助言してくれたり、時には、叱ってくれたりしてくれる人の存在はありがたい。そこに、人間としての優しさや真心がないと、その行動の価値は薄れてしまう。もっと言うなら、他人に対する我慢強さが必要なのだ。実は、私はこれに欠けている。塾講師と言う職業柄、生徒がこちらが説明していることが理解できないということには、頭に来ることはないが(むしろ、分かって貰えたら嬉しい。分からなくても仕方ない。と思っている。)、宿題などの約束事を何度も破る(たまにのことならどうとは思わない。)、分かっていないのに分かったと嘘を言うことには、カッとなってしまう。これが私の直すべき点のひとつである。

最後に、リーダーは孤独であるが…

 「経営者は孤独である。」この言葉は、耳にしたことはあるだろう。ここには、リーダーの苦悩すべき事が含まれている。皆が落胆しているとき、リーダーまで落胆していいのか?皆が浮かれているときリーダーまで浮かれていいのか?リーダーは常に、進むべき道を探し、希望を示さなければならない。そして、有事には、覚悟と責任を見せなければならない。責任逃れをするリーダーに値打ちなどありはしない。覚悟と責任は、分かち合うものではなく、リーダー一人が背負うものだ。だから、孤独なのだと思う。この孤独が嫌なら、リーダーになるべきではないと私は思う。でも、この孤独があるからこそ、リーダーならではの喜びもあるのは確かだ。塾長として、小さい組織であるが、私はリーダーである。「Total Academy」の生徒、保護者、関わる人達のためにも、自分のためにも、リーダーとしての器を大きくし、磨いていきたい。

 

 

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