21世の産業革命

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21世紀の産業革命 

今回は、小中学生には難しい話でごめんなさい。

新型コロナウィルスと変革

新たな形の模索をして行かなければならない。 

 新型コロナウィルスの影響は、悪い面がどうしても目立ってしまう。それは、生活や生計に直結する経済的な問題が、人々を苦しめているからだ。当然、僕も僕の妻も、知り合いの経営者も痛手は受けている。やはり、3ヶ月の休校は、新規塾生の獲得と言う面では、例年と比較しても動きが鈍い結果を招いたと思える。例年、新学期を迎えた4月、5月、新たな生徒が入塾してくれるが、今年は、5月末で新学期が始まっていない。6月から始まるが、暫く週3日とか4日、午前中だけとかの分散登校を実施すると言う。そして、夏休みも大幅に短くになるので、塾の夏期講習も例年よりも収入面では、大きく下回ることになる。それでも、何とかTotal Academyは経営が成り立っているので、それは有難く思っている。僕の妻はリラクゼーションの施術を生業としているが、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言もあり、1ヶ月以上、休業していた。知り合いの経営者も、ゴールデンウィーク中と前後で、例年なら数多くの依頼を受けるが、今年は外出自粛で依頼数はゼロとの話だ。飲食店経営者も、テイクアウトを始めても、売り上げは通常には全く及ばないと言う。外食は、家にいれば、確かに不要不急の外出となる。いくらテイクアウト形式を始めたとしても、それにかかる費用、従業員の雇用を考えれば、ほとんどの店が赤字であると思う。そして、これから先、経営者は、今までの形とは違う形を模索して行かなければならない。

新たな形へ切り出す決断をしなければならない。

 人と人との距離を空ける必要があると言うが、それは、もう店舗やテナント、その施設、空間に今までと同じ密度で人を集められないことを指す。人数を半分にしたら、単純計算で売上は半分になる。客単価は変化しなくても、同じ時間内で受け入れる顧客の数が半分なら、諸費用、人件費などで、利益は半分よりずっと少なくなる。これは、もう違う形態でサービスを提供できるようにしなければ、経営が行き詰ってしまうことを意味する。勿論、業種によって状況は異なるが、現場に人を集める方法だけに囚われるのではなく、違う視点で考えて行かなければならない。しかし、実際には、その対応は難しい、特に、飲食店は、その店で味だけでなく雰囲気を味わうことも含んだものなので、実際に、客に店舗に来てもらう必要がある。旅館業、ホテル業などの対面を含めた接客で、不特定多数にサービスを提供するものも、顧客数の維持は、現実問題として、不可能であるとは思う。これらの業種は、数年後までの我慢が必要であると思うが、その我慢、辛抱を支える政策・施策を国や自治体が提供して(現段階でも、効果的な施策は行われているが、行き届かない部分はある。)、経営者も情報を集め、前に進む努力をし、気力を維持しなければならない。是非とも、国や自治体は、金銭面と言うよりは、その気力を支える政策を打ち出し欲しい。中小企業に対する持続化給付金、持続化補助金等の施策は、実に有難いが、短期的ではなく、中長期的な支援をして欲しい。そうでなければ、倒産してしまう会社の数が多くなってしまう、そうなれば失業者が増え、多くの人の生活が困窮してしまう。失業率が上がれば、国全体の生産性が下がり、国の税収が下がるので、国民は質の高い公的サービスを受けられなくなる。そうなれば、幸福感、人生の満足度が下がり、自殺者が増える。多くの人が未来や希望を見ることができない状態なってしまえば、更に、負の連鎖が起こる。絶対に、そうしてはならない。だからこそ、国には経営者に対して、我慢を強いるだけでなく、未来と希望の光を見せるものを示して欲しいと思う。勿論、経営者も国や自治体に甘えるのではなく、自らも希望を繋ぐ行動をし、自社の生産性の向上と利益を求めなければならないが、国も国力を維持するのではなく、向上させる施策を打ち出して欲しいと思う。だからこそ、新型コロナウィルスにより、変革を強いられた今こそ、財源がないのは分かるが、その財源を確保して頂きたい。企業も国も変わって行かないといけないのは確かであり、そのためには、どうしても資金は必要である。実は、この資金が一番の問題であるが、無い資金の中でどうアイデアを出して、実行して行くのか、どこに、どのタイミングで充分な資金を注ぐのかを決断するのが経営者であり、国や自治体のトップがする仕事である。

効率と生産性

無理と無駄を省き、効率と生産性を上げて行くことが物事の進化 

 Total Academyでも、そういう決断は、塾長である私が当然した。流石に、具体的にどうしたと言う話は、ここではできないが、その中で感じた事を述べようと思う。リモート授業(オンライン授業)への変換がいつでも可能な様にしたし、実際に5月はそれで行ったわけである。5月のリモート授業は、初めてのことであるので、正直、手間取った。機材が揃っていなかったこと、手段が定型化せず非効率的であったことが理由で、最初の2週間は時間が掛かり大変だった。効率や能率を上げるための必要な機材を調べ、揃え、最後の4週目でやっと時間的にも精神的にも余裕が持てるようになった。物事の発展や進化とは、無理と無駄を省き、効率と生産性を上げることではないのかと感じた。当然、何が無駄なのかは、無駄を経験したり、指摘されないと分からないし、ある程度の無理はしないと、どこまでが可能で、これ以上が無理なのかの境界線を知ることが出来ない。そういう個人の経験はとても大事である。それも感じたのだが、もっと考えさせられたのは、効率と生産性を求めるとき、機械や機材は欠かせない事である。正直、人間個人の能力では如何ともし難いものがあるのが事実だ。リモート授業の関連で言うなら、パソコンやカメラ、ペンタブレット、ネット環境など、これらは人の能力で代用できるものではない。例えば、メールで送信する行為ひとつとっても、人間がやれば場所によっては数ヶ月かかる。人と人が合う手段は、自分の足、自転車、蒸気機関車、自動車、電車、飛行機、新幹線、リニアモーターカーとスピード化が進み、時間もお金も掛からなくなった。テレビ電話なら、電気代は多少かかるが、ネット環境と端末さえあれば、どんなに離れた場所にいても、話したい人とすぐに顔を見て話せる。これは、時間を省き、道中の旅費などを省き、効率と生産性を上げた結果である。勿論、メールやテレビ電話が最上最善の方法とは言わないが、最早、この方法を使わない人はほとんどいないだろう。では、効率と生産性が向上した結果、どうなって行くのだろうか?と考えてみた。

産業革命

産業革命は人間に暇を与え、楽にしたのか? 

 イギリスで起きた産業革命で、工場の機械化が進み、その動力として蒸気機関が発明され、人間がしていた事を機械がするようになった。時間は掛かるが、誰でもできる単純作業は機械が行う様になったわけである。その結果、人間は仕事をしなくて済むようになったか?いや、簡単な事を機械にさせたため、単純で簡単な作業ではなく難しいことを人間はしなくてはならなくなった。機械による効率と生産性の向上に、人間が追い着かないと経済競争の中では経営が成り立たなくなったからだ。人間は暇な時間が増えたわけではないのだ、逆に、忙しくなったのだ。その変化に対応できなかった人は、職を失ったのだ。社会は貧富の格差を生んだのだ。効率と生産性の向上は、実は、人間を楽にするだけでなく、それに対応するだけの個人の能力を求める結果を生む。これは、歴史が証明していると思う。現在、職場でも学校でも、オンライン化が進み、今までの無駄な事を失くそうとする流れになっている。これは、産業革命である。AIの導入は行われているが、オンライン化が進むことで、更に加速されて、この産業革命は進んで行くだろう。何故なら、新たな手段は、過去の方法の無駄を葬り去ってしまうからだ。イギリスで起きた産業革命と同様に、誰でもできることはAIが行う、膨大なデータの収集・分析はAIが行い、計画を立てるとなれば、人間は何をするのだろう?AIの計画を実行するか、AIにはできないことをするか、のどちらかだろう。更に、貧富の差が拡大することが目に見えている。確かに、AIの享受はある。快適な日常にはなるだろう。でも、全国民が、その恩恵を十分に受けられるか?と言ったら、疑問がある。時間は掛かるが正確にやれば、誰がやっても同じ結果になるものをAIが担当して、瞬時に結論を出せば、その効率と生産性の向上は、18世紀の産業革命どころの話ではない。人間は、暇になるどころか、AIの効率と生産性に追われて、忙しくなるだろう。忙しくなると言うのは、労働時間が長くなることではなく、労働の密度が高くなることである。確かに、働き方改革もあり、労働時間は短縮されて行くだろうが、その密度や効率性が高くなり、人間個人個人の能力の高さを強制的に求められるだろう。それは、楽なことではなく、むしろ厳しいものの様に思える。でも、その厳しさの中で、喜びと楽しみを見つけるのが人間だと思う。私も、これからの変化に対応できるように、自分の能力を高め、進化して行きたいし、進化できる自分がいると思うと、ワクワクする期待と喜びを感じずにはいられない。

 

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