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友人の定義
中学を卒業し高校生になってから、友達についてよく考えるようになりました。コロナウィルスの影響で休校になり、本当に友達ができるか心配でした。分散登校ではクラスに同じ中学出身の人はいなく、孤立しているときもありました。そんなときは、いつも中学時代が愛おしくなって、中学の友達に会いたいなと何度も思いました。このような期間があったからこそ、友達について考えることが増えました。そこで、僕が考える「友達の定義」について考えていきたいと思います。
まず、精神年齢によって友達の区別の仕方は全く異なると思います。幼児、小学生の時には、同じ空間にいれば誰でも友達と考えていたような気がします。一緒のクラスになれば友達、一緒に遊べば友達、このように誰でも友達にしていました。今考えれば、このような考え方は、今の僕には絶対にできないです。なぜなら、中学に入学した瞬間、先輩・後輩という関係ができるからです。この関係は、ある意味壁ができているようなもので、一人の友人を失ってしまったものだと思います。小学校までは同じ目線で、遊んだり、けんかしたりしたのに、中学になったらそれがきっぱり無くなってしまい悲しいと感じることがありました。その先輩との間に気まずさ感じることさえありました。上下関係を学んでおくことは大切だと思うし、否定はできませんが、このような形で友達を失うのは少しいやです。このように、中学では友達の定義が小学生の時に比べ大きく異なってきました。僕の中学時代の友達の定義は「タメ口で話せる。」でした。僕は中学時代、部活で共に努力してきた仲間を友達と呼ぶべきか迷うことがありました。辛い練習などを全員で何も支え合って、乗り越えてきた仲間たちは、普通の友達とではなく、特別な友達と思うべきだと思います。話は脱線してしまいましたが、小学校の時とは異なる友達の考え方について学べました。
高校生になり、身の回りの環境ががらりと変わると、友達のでき方も大きく変わりました。それは、休校期間中にSNSを通じて交流をしたからです。今になって考えると笑ってしいますが、僕は必死になって初対面の人の信頼を得ようとしていました。高校生になって大人に近づいている僕たちが友達になる一番の近道が信頼だと考えたからです。友達づくりにここまで真剣になったことがなく、中学の時当たり前だった関係は深いものだったのだなと気付けてよかったです。
このように、「友達の定義」は心の成長と共に変わってくると思います。僕が今考える友達の定義は「信頼関係があり、お互いを認め合える。」ということです。僕の中での友達の定義は、まだまだ変化していくと思うので、よく考えて成長したいです。
高校生
来週も生徒作成文章です。
今回も生徒作成文章です。感性というものは年齢・立場・環境で変わるものです。年を重ねると、過去に自分になかった感覚を感じるようになります。それと同時に、過去に感じたことを失ったりします。それは、変化であり、進化であり、成長だと思います。10代の感覚は、40代の僕に大きな刺激を与えてくれます。生徒達の文章を読むと、新たな感覚が芽生えるのが分かります。思わず、嬉しくなってしまいますし、感動します。
皆さんも、じっくり読んでいただくと楽しいと思います。今の自分にはない感性を与えてくれます。それは、活力を与えてくれます。