所有欲と獲得欲

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所有欲と獲得欲 

カメラレンズを売却予定

 僕はカメラを趣味としているが、カメラボディーやレンズ、それに関連する三脚やストロボ、カメラバックなど、所有するとなると、お金もそこそこ掛かってしまうし、保管する場所も必要とする。必要であるとか、欲しいという理由で、購入したわけであるが、時の流れと共に使わなくなったものもある。必要だったし、使いたいと考えて購入を決意したものであるから、買った当初は、頻繁に使用したし、ずっと大事にしてきたので愛着はある。でも、新たなものを購入すると、その機能が重複して、使わなくなってしまうことが多々ある。そういったカメラレンズがあるので、売却することにした。売却利益を期待しているわけではない。今までありがとう。お世話になりました。という感謝の気持ちを込めて、売却するつもりだ。以下にその2つの理由を述べる。

理由① スペース上の問題

 一つの理由は、保管スペースである。カメラやレンズ、アクセサリーは、防湿庫に保管している。カメラ、レンズは精密機械であり、湿気に弱い。だから、湿度を一定に保てる防湿庫内に、使用後は仕舞っている。湿気によって、レンズにカビなど生えたら、そのレンズは機能的にも、性能的にも、もう元には戻らない。大事に所有しているものに対して、人一倍愛着が強い僕にとっては、そうなってしまったレンズは死んだも同然なのだ。そうなったら、僕は精神的に落ち込んでしまう。そうならないための防湿庫なのだ。その防湿庫が2つあるのだが、そこに入れられる量は限りがある。その防湿庫内に物が増え、いっぱいになって来たし、新しいレンズを入れるスペースを確保するためというのが、第一の理由である。

理由② 使わなくなってしまったモノの立場で考えてみた。

 二つ目は、レンズを使わない状態でずっと放置しておくことが、罪なことであると思ったからだ。写真家の西田航さんがおしゃっていたことなのだが、カメラボディーやレンズは使ってこそ、価値あるもので、使わなくなってしまったものは、新しく使ってくれる人に譲った方が、カメラやレンズにとっては幸せであり、新しいオーナーも幸せになれる。という内容の言葉に共感したというのが、第二の理由だ。

所有欲と獲得欲は違う

所有するのも獲得するのも喜びではある。

 お金や空間が無限にあるからと言って、所有欲を満たすためだけに、モノを自分のところに囲うのは間違っていると思う。そのモノの価値をできる限り発揮できるようにしてあげるべきだ。それがモノを大事にすることだと、僕は認識している。カメラやレンズは写真を撮ってこそのモノであるし、車だって乗ってこそ、本は読んでこそ、絵画は鑑賞してこそである。ずらっと、モノが並んでいる光景は、心躍るし、満足感を得られるのは分かる。分かるが、只々、自己の所有欲を満たすためだけに、飾ってあるだけでは、モノが可哀そうに思える。自分以外の人が楽しめるようにしたり、モノがその機能、性能、美しさ等を発揮できるようにしてあげるべきだと思う。そのモノを所有するために、頑張ったり、苦労したり、働いたりしなくてはならないので、そのモノを獲得したときの喜びは僕にだって理解できる。だが、勘違いしてはいけないのは、所有欲と獲得欲は似て非なるものだということだ。この二つは、全く違うのだ。

獲得欲は幸福感と成長を与えてくれる。

 モノを獲得することは、手に触れることができる物質的なものでも、手に触れられない知識や考え方、精神的なものでも、努力や忍耐が多かれ少なかれ必要だ。だからこそ、獲得すれば、喜びを得られる。受験合格、スポーツの勝利、仕事での成功など、考え、工夫して、技術を磨き、知識を増やし、対応してきたものが報われた結果だ。勿論、反対に、それが報われず、不合格、敗退、失敗という結果もある。しかし、それも獲得欲の原動力になることもある。獲得欲があるから、人はいじけて、下を向かず、前を見て進めるのだと思う。獲得欲が人を突き動かし、幸福感を与えてくれ、その人を成長させてくれるのは間違いない。只、その人の能力を大きく超え過ぎてしまうものを求めるのは、逆に、その人を苦しめてしまうことになるので、注意しなければならない。その人の精神力や知能、身体能力、環境、獲得の対象物等が個々で違うので、獲得の目標設定は、難しいものがあるが、その人がこれならできそうだと思えるレベルが妥当であろう。何故なら、人は成功体験を積み重ねることで自信が持てるからだ。ひとつの成功体験は、次の成功体験を呼んでくれる。成功体験が多い人は、ひとつの成功体験だけに捉われることなく、色々な手段、広い視野で物事を見ることができる。そして、失敗したことでさえ、プラスに変えて、成功に導くこともできる。成功体験が多い人は、自分に自信と余裕があり、より成功に導きやすい状況、環境下にいると僕は思う。逆に、成功体験が少ない人は、自分に自信が持てずに、どうやって良いのか分からず、具体的な行動もできずに、獲得欲を失い、時が流れるのを待っているだけになってしまいがちになってしまうと思う。勿論、成功体験が多い人が、必ず成功するわけではないし、少ない人が失敗するわけでもない。ここで言いたいのは、成功とか失敗の結果ではなく、獲得欲を持ち、それを維持し、希望を抱き、行動できるかが大事であるということだ。獲得欲は、大き過ぎても、小さ過ぎても駄目で、特には、捉われ過ぎて毒になってしまうものかもしれないが、人に幸福感や成長を与えるものであると僕は思っている。

大きなモノを獲得したあとは、精神的に難しいかもしれない。

 只、大きなモノを獲得したあと、人は安堵感を得るので、その後、心に穴が開いてしまうこともある。すぐに、新たな夢や目標が見つかれば良いが、そうでないとかなり、その人にとっては辛いものかもしれない。スポーツで好成績を長期に渡って残せる人が、それほど多くないのも原因のひとつはここにあると感じている。例えば、あるプロボクサーが世界戦に挑戦し、新チャンピオンになり、次の防衛線で負けてしまったり、前回の試合に比べて内容が悪いことも結構あったりするし、プロ野球選手でも、1年だけとか、2・3年しか好成績を残せない人もいる。怪我や技術面での問題もあるだろうが、大きなモノを獲得したあとの精神面が、影響を与えているのは確かだと思う。プロ野球では成績を3年続けて残して本物であるという人もいる。心技体が揃わないと通用しない厳しい世界なのだろう。だから、一線級で長期間抜群の成績を残した人は、レジェンドと尊敬されるのは当然であろう。10年20年とモチベーションを維持し、コンディションを整え、活躍するのは簡単ではなく、とても難しいと思う。それができるのは、精神面の強さと柔軟性も、知能も、思考力も、洞察力も、その人特有の能力が必要だろう。プロスポーツの人間ではないが、僕もこの仕事を20年以上続けているし、これからもできる限り長く続けたいと考えているからこそ、少しでもそういう領域に近付きたいし、そのための労力は惜しみたくはないと思っている。

獲得したモノ、人に対する所有欲は度が過ぎてはいけない。

 そして、獲得したモノに執着し過ぎないのも大事なことだろう。どこどこ高校に受かった、どこどこ大学を卒業した。それは、その人が頑張って獲得したモノなので、ひとつの勲章ではあるが、そのことがこの先の人生に大きく役に立つわけではない。その環境下に行けた、その状況に自分の位置を持ち上げたことは確かではあるが、そこから先は、その人次第だ。人はステップアップして、立ち位置を変えて、変化、進化し、その都度、モノを獲得して行くものだと僕は思う。そうでなければ、時代や世の中の変化に取り残され、淘汰されてしまう。獲得したモノは財産であるが、その財産に固執していては、次に進めなくなる。獲得したモノに対する所有欲は、時にその人の世界を狭めてしまうことになる。所有欲は決して悪いものではないが、過度で大き過ぎるものはその人を不幸にしてしまうことがある。使わず、誰の目にも触れない素晴らしいモノは、本来の素晴らしさを失っているし、人間に対しての所有欲は、度が過ぎるとストーカー行為にも繋がるだろうし、相手が自分の思う通りに動いてくれないことに、イライラしストレスを溜めてしまう。家族だから、恋人だから、夫婦だから、親子だからと、所有欲というか切れない関係があるのは事実だが、そこにだけ目を向けるのは間違っている。どんな関係でも、自分以外の人間は、自分が思うようには完璧には動いてくれない。自分だって、相手の思うようには動いてはいないのだ。人に対しても、モノに対しても、所有欲はほどほどなのが良いのではないだとうか?

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