- カテゴリ
現在2019年11月ですが、学習塾を経営している上で看過できないことがありましたので、私見を述べますね。「大学入試の英語民間試験延期」についてです。
まず、英語民間試験導入について、僕は、正直、賛成ではなかった。理由は以下の通り。
①公平性に欠ける
受験料が高額であり、且つ、実施団体によって受験料が違うこと。複数回受けられること。都会の生徒と田舎の生徒では、交通費も大きく違ってくること。言葉は悪いが「金持ち有利」が行き過ぎる感がある。裕福なことは悪ではありませんよ。そこを目指して、人生を頑張ることは良いことだと思います。これは、今後「経済格差=学力差」となりやすくなってしまう危険性が高い。授業料を頂いて、生計を立てている僕が言うのも可笑しいと言う人もいるかもしれないけど、現状の案では、多少の有利不利の差では片付けられないものだと思う。
②不合理である
①の公平性に欠けるということの範疇かもしれないけど、合否を決める試験において、違うテストを実施してそれを比較するのはナンセンスだと思う。補正するにしても、その補正を適切なものにするのは困難だろう。実施団体によって、試験の内容や特色は違う。この結果を比較するのは、違う競技の選手や同じ競技の選手でも違うポジションの選手を比べて、どっちが上か?って言っているようなものですよ。長距離走の選手と短距離走の選手を比べて、どっちが優れてる?って言っていることと同じような感じですよ。
③4技能(読む・聞く・話す・書く)の配点
英語を「読む・聞く・話す・書く」どれも重要なことに間違いはない。只、日本語もそうだが、言語というのは、「話すこと」と「書くこと」は別物。だから、口語と文語がある。「話すことが上手=読解力がある」とはならないよね。もし、そうだとしたら、脈絡もない話をペチャクチャ話すおしゃべりさんが頭の良い人になってしまう。そんなアホなことはないよね。それと、日本の高校生に、英語で自分の考えをきちんと伝えさせるのは、酷なことですよ。まだ、しっかりとした自分の意見を持っている高校生なんて、数多くはいません。これは、年齢的にも経験が少ないので仕方ないことだよ。それなのに、自分の意見をまとめて、それを正しい英語で話せ!ってハードル高過ぎですよ。テストの課題として、「話す」という技能を求めるのは良いですよ。でもその配点の割合が高過ぎます。それよりも、若者には、読解力を求めるべきだと言いたい。若い柔軟な頭には、基礎である「読み・書き」を習得させて、正しい文法を学んでもらうべき。話すことは、それが出来れば何とかなりますから。極端な話、話すのが苦手でシャイだけど、実は頭が良い子が不憫ですよ。学部・学科で必要とされる英語の能力・技能は違います。もう少し、その辺りを考慮しても良いのでは?と思う。120点満点の30点ずつは、ちょっと…。考え直して!というのが本音。
今回、延期という形になったけど、一番の被害者は、受験生です。自分達を蚊帳の外に置いた議論で成立した制度、しかも、急転直下で結論が覆るというこの結末です。大人なら兎も角、まだまだ未熟な若者が振り回されるのは納得できないと思うのは当然です。延期になったことは、反対派である私にとっては、少しばかりの安堵感を覚えますが、不満や怒りもありますよ。一番、不利益を被ったのは今年と来年の受験生です。今年の受験生は、民間試験導入を考慮して志望校を決定した人もいるはず。そして、来年の受験生も、延期になったとは言え、今後の情報収集をしながらの受験勉強となります。これは、かなりの負担です。
5年後の2024年の民間試験導入ということは止められないでしょう。上記の問題点を改善したもので実施して頂きたいです。もう少し言うと、これからの時代、大学の独立性・独自性をもっと出しても良いと思う。これだけ価値観が多様化しているのだから、偏差値だけでなく「この大学のこの学部は、こういう方針でこういう事をしている。こういう教授が、こういう考え方の下、学生にこういうことを求めているから、こういうことを学生に課す。」ということをもっとアピールすべきだと思う。(頑張ってアピールしているところも沢山あるのは重々承知してますよ。)それに沿って、大学・学部・学科独自で、大学入試試験を作るのがベスト。東京大学なんか、センターと2次の傾斜を見ると、センター軽視し、自分のところで作った問題を重視して、それで人材を集めている。独自性と独立性が強いってことですよ。こういう風に、他の大学もするのがベストなんですけど、実際問題として、それは難しい。受験生の負担がデカいし(第一志望・第二志望で受験勉強の内容が違ってくるから)、大学側も人材育成ということに力を入れたいのに、試験作成や採点、その準備に時間を取られてしまう。それを考慮したのが、今のセンター試験だからね。大学入試共通テストで、マーク式だけではなく、記述を取り入れるのも、思考力や論理力を問うという、そういう趣旨・理由は大いに理解できるし、賛同する。でも、各大学が参加する共通テストならば、やはり公平性・合理性の確保は必要ですよ。絶対に、そこはクリアしなければならない。これができるのか?という疑問はある。それと、受験生が納得できるある程度の公平性と言うのが、どんなものなのか?これと擦り合わせる必要があると思う。採点の基準、配点の基準、そういうものを構築して行かなければならない。
英語だけでなく、数学や国語の記述式の採点に対して、採点をする際の明確な基準がない、若しくは、基準を設けにくい。そのため、採点の公平性に対する担保がないと言う意見もある。僕は、工夫すれば完璧でないとしても、高い公平性は確保できると思う。そもそも、現行のセンター試験のマーク式も、公平性という点では疑問がある。正答に辿り着く過程は正しいのに間違った選択をしてしまった者と考えもせず適当にマークを塗りつぶして正解する者、後者の方が評価されるわけですよ。只、どんな試験でも同じルールで行うことが一番の公平性・平等性の確保ですよ。記述式の採点に関しては、模範解答とガイドラインを作成しておき、基本的にはそれに従って採点する形にする。又、採点したテストは、全てスキャンしてファイル化し、受験番号と紐付けし、受験生本人が必要であれば、そのファイルを閲覧できる様にする。個人情報の保護に関しては、二重パスワードなどを取り入れればクリアできると思う。何度か、試験的に入試とは関係なく、高校生や浪人生に協力して貰って、実際、大々的にやってみれば良いと思う。それでダメなら、考え直せば良いだろう。民間でやると言うのなら、費用は、その業者が負担すれば良いだろう。民間委託という流れは、現在の日本が進む方向性から考えれば、そうならざるを得ないのもわかる。制度が時代とともに廃れ、新しいものができるのは当然。そのとき、多少混乱するのも当たり前。でも、今回は混乱が大き過ぎた。そして、現場や当事者の意見を蔑ろにし過ぎた。次回の変革では、出来る限り少ない混乱で進んで欲しい。
でも、そもそも、この改革は何のためなのか?人材の育成のためだよね。僕達の時代の教育でダメだったところも、良かったところもあるのは事実。僕達世代ではなく、他の世代でも、例えば、ゆとり世代でも、良い点、悪い点はあった。それらを今一度、洗い直して、もっと良いシステムを作って欲しい。
最後に、僕なりの具体的な改革案が言えず申し訳ない。