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私は、趣味としてカメラで写真を撮ることを嗜んでいる。写真撮影は、レンズの特性を考え、シャッタースピード(シャッターが開いている時間)、絞り(レンズの光を取り入れる穴の大きさ)、ISO感度(光に対する感度。値が大きいほど、より敏感に光を感知)、他にもパラメーターは存在するが、主にこの3つの設定を変えて、自分が取りたい写真の雰囲気を作って行くわけである。実際、一発でイメージした通りの写真が撮れることはほとんどない。撮影してみて、その場で考えて、何個か失敗作を生み出すことを繰り返す。しかし、その失敗は、違う場面での撮影で経験値として生きてくる。仕事だけではなく趣味でも「失敗は成功のもと」を実感するのである。
ある程度、カメラ及びレンズの扱いに慣れると、「被写界深度」という言葉を気にすることになる。この言葉を簡単に説明すると、どの距離の範囲でピントが合っているか?ということで、被写界深度が浅いとか深いと表現する。浅ければ、ピントが合う範囲の奥行が短く、深ければ長くなる。これを利用して、いわゆるボケを作ったり、圧縮効果(遠くのものを近くに見せる)を狙った写真を撮ったりするわけである。桜と高崎白衣観音の写真はその例である。
カメラとレンズは、構造的には人間の目と同じである。人間の目の場合、水晶体から光を取り入れ、その像を網膜に写し、その信号を視神経が運び、錐体細胞と桿体細胞が色と明暗を識別して脳が判別する。カメラの場合は、水晶体はレンズに、網膜はレフ板に(ミラーレスは、このレフ板がなく、光が直接イメージセンサーに入る)、神経回路は電気回路に、錐体細胞と桿体細胞はイメージセンサーに置き換わる。しかし、人間の目は被写界深度がある程度深いため、決して、桜の写真の様には見えないし、白衣観音の写真の様にも見えない。同じ景色でも、レンズやカメラの設定によって見え方が違うことがカメラの面白さのひとつだと思う。実は、人間の目も人それぞれ見え方が違うらしい。これは、その人の視神経の回路、視細胞の数や分布などで違ってくるらしい。更に言えば、同じ人でも右目と左目で見え方が少し違うことも報告されている。私はその専門家ではないので、詳しいことは分からないが、このことに考えさせられた。
人によって、世界の見え方が物理的原因でも違ってくる。そこにその人の経験、思考、感性、精神状態が加味されれば、同じ世界、同じ物事でも見え方は余計に違うものになるのは必然だろう。物事を極めた人は他人が見えないものが見えると聞くし、何事もある程度のレベルに達しないと見えて来ない世界がある。これは自分の経験からも確かな事実である。だから、生徒達に対して、今、見えない世界を見えるようになって欲しいと思ってしまう。エゴであることに間違いないが、そう思うことは間違いではないと思う。しかし、一方的に伝えているのではないかと考えに沈むこともある。保護者の方も我が子に対し、同じ様な経験はされたと思う。
前述したように、人によってこの世界の見え方は違うものだし、到達している世界も、生き方も、価値観も違う。このことを共感、共有できる方法があれば良いのだが、人と人が目や脳を取り換えるのも、人生を取り換えるのも不可能である。だからこそ、相互に表現し合い、理解し合おうとすることが現在の唯一の方法であろうと思う。そのために、今回、この様な文章を書いてみた。不定期ではあると思うが隔月程度で、この「Total Academy le Journal」を発行していきたいと思う。次回以降は、生徒達にも、文章を書いて貰うつもりでいる。お楽しみに。
May 2019 Total Academy塾長 斎藤勉