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大学入試共通テストの国語と数学の記述式、見送り決定
大学入試共通テストにおける英語民間試験導入が延期され、更に、国語と数学の記述式についても見送りが決定した。国が「こういう人材を育てたい」という意向があり、それに向けて教育政策を実行するのは当然だし、それと現行のシステム(センター試験)に乖離があると判断した上での改革であったはずだ。しかし、現実は、1年後に控えている事なのに、こんなにゴタゴタしている状況だ。判断をする側とその判断を受け入れる側では立場が違うので、意見が対立したり、食い違ったりするのは仕方ないことであるが、その辺りの話し合いが足らなかったのも要因だろう。又、新システムが「公平」「公正」を高いレベルで確保できているのか?ここに大きな疑問があると言うのも大きな要因だと思う。
受験には、公平と公正は絶対に必要
国語と数学で、マーク式では知識・技能を、記述式では思考力・判断力・表現力を問う。とのことであるが、何故、理科と社会はそれをしないのか?僕から言わせれば、理科と社会こそ思考力を求めるべきでは?と思ってしまう。技術や生活に直結してるのは国語や数学ではなく、むしろ理科と社会だからだ。只、高校の理科・社会は細分化されているので(大学では更に細分化されるが)平均点に大きな差異が出ないように記述式の問題を作成するノウハウが確立されていないだろうし、きちんと採点できる知識を持つ人が国語や数学に比べれば少なく、採点における正誤の判断が難しいのも想像できる。採点での判断が難しいのは、理科・社会だけでなく、他教科でも言えることだ。問題のレベルが高いほど、その判断は困難になる。ここがクリアされなければ、記述式はするべきではない。受験生や現役高校生の模擬試験として実施し、年月をかけて試行錯誤し、改良を重ねて行き、「公平」と「公正」が高いレベルで確保できるという信用が得られるまでは、大学入試としては採用すべきではない。これは以前にも述べたが、英語民間試験でも同じことだ。
国の思考力・判断力・表現力を求める方向性は間違っていないが…
只、思考力・判断力・表現力を求める方向性で行くという国の判断は、間違いではないと思う。(その辺りのことに触れると、別問題になってしまうので、割愛させて頂く。)そして、思考力・判断力・表現力を国が受験生全員にどのレベルまで求めるのか?と言うことが問題になって来る。一部の受験生がクリア出来れば良いと考えているのか?半分以上の受験生がクリア出来れば良いと考えているのか?1/3なのか?2/3なのか?その求めるレベルによって、記述式の成す意味は違ってくる。一部とか1/3の学生がクリアするレベルを望むなら、それは意味の無いことになる。何故なら、2次試験で独自の記述式を課す高い学力の大学学部学科は、そこで受験生に思考力・判断力・表現力を問うているので、現行のセンター試験というシステムで問題なく入試を運営し、求める人材を確保することが可能だからだ。受験生の半分とかそれ以上がクリアできるレベルを求めるなら、個人的には、そこに意味はあるとは思える。僕は、高校生に理系科目を教えているが、やはり、記述、論述を苦手にしている生徒は多い。筋道を立てて、説明し、正しく、相手に分かるように表現する。これはマーク式では、判断できない事である。そして、コミュニケーションを円滑にし、知識や情報を共有し、その情報を発信することが、昔より明らかに重要である現在や未来では、こういう能力は、必要不可欠である。だから、ある程度のことを受験生全員に求めるのは、良いと思う。只、受験科目ではあるが、共通試験にしか使わないという場合、受験校によっては、そこまで受験生に負担を強いても良いのか?とも思う。だから、記述式の得点を採用するかしないか?あるいは、独自の配点を行うか?各大学学部学科の裁量で決定できるように多様性があっても良いと思う。
国・大学・受験生が、それぞれが責任を負って行動するべき
国が育成したい人材と大学が求める人材と受験生が目指す人材。これらに共通点はあるけど、完全に一致することはあり得ない。なら、これはもう多様性で補うしかない。国は、国力を伸ばす人材育成を考えれば良いし、大学側は、それぞれ、世の中にどういう人材を送り出したいか?を考え、校風やモットーなどの独自性を受験生にもっともっとアピールすれば良い。肝心なのは受験生で、各人がそれらの情報を収集し分析し、自分で決定して、その決定の責任を自分で負うことが必要だ。勿論、国も大学も責任を持たなければならない。
結論:やはりどんな状況下でも、力を付けるべき
最後に、結論を言うと、国がやろうとしていることは理解できるが、時期尚早だと思う。受験生の人生を左右するのが受験だ。過酷だし、残酷だし、運や不運もあるし、完全な平等ではない。でも、そこに「公平」と「公正」が無ければならない。信用が無ければならない。過酷で残酷だからこそ、それらは絶対に失ってはならない。今は、大学入試共通試験という新システムでは、それが出来ていないのが現状だ。将来的には、改善改良して行き、受験生が納得できるものに作り上げて行くべきだけど、今はダメだ。僕は、根拠のない数字ではあるが、少なくとも、作り上げるのにあと4.5年は要すると思う。只、受験生には、どんなシステムでも対応できるように、力を付けて欲しいとは思う。個人的には、英語のリーディングとリスニングが同じ100点というのは、どうか?と思うが、これが決定事項の制度と言うなら、グダグダ言わず、力を付けて突破するようにするしかない。何故なら、みんな同じ条件で「公平」「公正」だからだ。有利不利は確かにあるけど、目標に向けて邁進して、頑張って欲しいと思う。力さえ付ければ、何とかなります!