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数学って役に立つの?

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 今回の話は、中学生・高校生に向けてのものです。

数学は計算する学問?

 「数学と言う教科=計算をすること。」と思っている中学生・高校生・大学生・社会人は、多いかもしれない。中学生になって、1年生の1学期は、正負の数の計算、文字式と計算オンリー。2年生の1学期も多項式の計算、連立方程式と計算ばかり。3年生になっても、1学期は、展開、因数分解、平方根、2次方程式と計算しかやらない感じ。1学期の計算で嫌気が差して、計算力が付かず、2学期以降の関数や図形や証明で本来の力を発揮できない子は結構いる。非常に、勿体ないと思う。計算力をつけることができず、その先のことをきちんと勉強できなかったから、「数学は計算する教科だ。」と認識をしてしまう大人もいることも確かだ。確かに、中学までの数学だと、半分以上は計算なので、「数学=計算」と言う思考になるのはわかる。高校になって、どこでどう使うかわからない公式を見て、それに当て嵌めるだけの勉強しかしてこなかったら、そう思うのもの当然の話だ。これは君達には、僕の言い訳に聞こえるかもしれないけど、計算力がないと、数学、物理、化学、生物、地学の理系教科は勿論、グラフを扱うことが多い政治経済も理屈の部分がわからなくなるのだ。根本や本質を教わらずに、思考することを経験せずに、数学の勉強することは、はっきり言って、数学嫌いの人間しか生まないと思う。本人が悪い部分もあるかもしれないけど、それよりもそういう環境を与えた教える側の責任もあると思う。「数学=計算ではなく、数学=思考の学問」と思ってもらえると、教える側の立場としては非常に嬉しい。そう、数学は、考え方、物事の捉え方を学ぶ学問なのだ。だから、大学の数学科は、哲学を学ぶところと言われている。

今時、手計算なんてやる意味がない?

 計算は電卓を使えばよい?

 「計算なんか、電卓使ってやれば良い。今の電卓は、関数計算だってできる。学校で手計算なんてナンセンスだ。」と発言する人もいるだろう。でも、その電卓をたたけない生徒もいるのが事実。彼らは、式自体を立てられないのだ。式を立てられない。あるいは、立てようとしない。思考していないのだ。彼らなりに、精一杯やっているが、そこに辿り着く力量がないのだ。原因は、文章読解力かもしれないし、情報処理能力かもしれない。計算力以外にも基礎知識の欠落は、学習を進めて行く上で致命的なものになってしまうのだ。ここを掘り下げて考えて行きたいところだけど、今回は数学と言う教科についての話なので、そちらに話を戻すね。

 電卓を使っても良いが、それは条件付き。

 僕は、電卓を使うことが悪いとは思っていない。只、計算力がない子が使うのは、あまり良くないことだと思う。まずは、手計算での、少数、分数、正負の数の四則演算は、多少の計算ミスはあるにせよ、できるレベルになる。そして、文字について解くことを(x=の形にすること。)できるようにする。最低、ここまでのレベルにならないと、長い計算式や文章問題では、まともに電卓は使えない。ましてや、指数・対数・三角関数、微分積分が絡めば、計算力がないと電卓うんぬんの話ではない。正しく式を入力できないからだ。要するに、電卓や計算機をある程度は使いこなせる知識や技術がないと、目的に沿ったことはできないし、解答を導き出せないのだ。結局のところ、ある程度の計算力がないと、数学と言う教科は、その先に進めないのだ。勿論、計算力が無くても、その先の思考の部分で、興味を持ってくれたり、面白さを感じてくれれば、勉強を進めて行く中で、自ずと計算力は付いてくる。だから、今現在、計算力が無い人は、悲観する必要はない。これから頑張ってくれれば大丈夫だから。でも、計算で嫌気が差して、思考の部分に触れる機会がなくなってしまうというのは、前述したことではあるが、勿体ないことである。

 計算力がないとアカデミックな思考はできない。

 計算力がない子は、自分が出した答えの妥当性を考えようとしない。いや、考えられないのだ。桁が明らかに違っても気にしない。これも、大問題だ。やはり、計算練習をして、計算力を付けることによって、計算結果の予測を立て、そこに答えが収まるか?を訓練しておかないと、極端な話、買い物も出来ないんじゃないか?と思う。今から15年位前かな?ある著名人がテレビで「2次方程式の解の公式なんて、社会人になって使ったことはない。」と発言したことがきっかけらしく、一時期、中学3年生の数学から、2次方程式の解の公式が消えたことがある。「文部科学省は、何をしてくれたんだ?」と当時の僕は思った。確かに、日常生活で2次方程式を解くと言うことは、まずしない。だからと言って、義務教育に必要ないと言うのは、おかしな話だ。解の公式を知らないと、高校数学でほとんど何もできなくなる。そもそも、高校まで行う学問は、基礎学問だ。数学だけでなく、必ず、答えがあることを扱ってる。その基礎を元にして、大学や大学院では、答えや正解がないものを追求するわけだ。まさに、数学は思考するための道具になる。一部の学部を除いて、大学レベルの勉強をきちんとしたいのなら、高校数学のある程度は理解しておかないと、大学でアカデミックなことを学ぶのは無理だ。


「考える」って何なの?

 「数学は思考するための道具になる。」思考と表現したが、「考える。思考する」とは何だ?ここを考えてみよう。数学の授業では、中学2年生で「定理・定義」という言葉を学ぶ。でも、それ以前にこの言葉は習っていなくても、例えば「円とは、ある点から等しい距離にある点の集合」とか「ねじれの位置とは、空間で平行ではないが、交わらない2直線の位置関係のこと。」とか、「何々はこういうこと。」と定義付けして教わっているはずだ。その定義や定理を元に、これはこうだから、ここはこうなる。と、きちんと理由をつけて物事を進めることが、考える、思考することだ。定義と言うルールの下、定理と言う正しいと思われるものが存在して、その定理に沿ってあれこれ考えて行く。正解に辿り着けなかったら、正しくない理由を定理に沿って見つけて、修正する。これって、スポーツや習い事で、失敗して反省点を洗い出して、そこを改善して行くことと似ている。そして、スポーツでは、ルールの中で何ができるのか?違う方法ないか?もっと有効な手段はないか?と考えるのも大切なことだ。数学の問題で、別解を考えることも、それと類似している。考えると言うことは、本当に大切で、考えてやった事は習得レベルが断然高い。言われたことをやるだけの練習と、言われたことの意味や意図を考えて理解して練習するのでは、効果は明らかに違うよね。「分からなければ、分かる人に聴きなさい。」と大人達が言うのは、意味も分からず物事をすることが、どれだけ時間の無駄かを知っているからだ。まだ、意味は分からなくとも、これはどういうことだ?と考えて工夫してくれるなら良いけど、長い間、悪い結果しか出てないのに自分のやり方や態度を変えようとしない子が結構いる。これは、はっきり言って、思考停止のまま惰性で流れているだけだ。そこに何の意味があるの?だから、人は考えなきゃならない。考えることは、自分を導くことなのだ。一人で考えられないのなら、誰かと一緒に考えれば良い。考えることができる知識を誰かに教わって身に付けて行けば良い。考えることが、人を成長させるのだ。勿論、考えただけじゃダメで、その考えたことを実践して下さいね。

まとめ:数学って、実際、何の役に立つの?

 ここまでの話で、今ひとつピンと来ていない人もいると思う。何故なら、「大学とか、まだ先の話だし、そもそも、大学なんて行く気ないし。」と思っている人も多いと思うから。では、実際にどう役に立つか?を説明して行くね。数学の問題を解くとき、君達は、「これをこうやって、その結果、これがこうなるから、あれとの関係で、結局こうなる。」とか解き方の手順を考えるよね。闇雲に、いきなり計算なんかしないでしょ。そこに根拠があるから、計算をし始めるわけでしょ。これって、物事を筋道立てて考える訓練だよね。そして、物事を進めるとき、関連する全ての事を同時進行するのは無理な場合があるよね。じゃあ、その時は、優先順位を決めるよね。その優先順位を決めるときの理由の整理って、実は、数学だよ。高校数学で言うと「集合と命題」や「場合の数・確率」の範囲の話だ。スポーツで、自分の理想のパフォーマンスが出来なかったとき、何が悪かったと考えられるのは、理想の形が君にあるからだよ。その理想の形を頭の中でイメージしていると思うけど、それって、実は空間座標というものを取り入れている。理想と比較して、ここがこれだけズレていると考えるのも計算はしていないけど、関数や微分・積分として扱っていることなんだ。数学の知識は無くとも、自然と数学を取り入れているんだよ。実際に、スポーツ解析と言って、データを収集して分析する学問がある。それは、数学と物理が不可欠だよ。こういう風に、数学が実は身近にある。数学の知識があるのとないとでは、物事の捉え方は変わってくるよ。数学の知識があれば、物事をより多角的に見ることができる。そうすれば、きっと、もっと楽しいことやワクワクすることが見えて来るはず。そのためには、まずは計算をできるようになろう。

 

 

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