野村克也様

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私が尊敬する野村克也さんの訃報

 今回は、個人的に思い入れが強い人の訃報についてです。いつもは、小学生、中学生、高校生に向けて書いているけど、今回は、野村監督と野村監督が好きな人に向けて書きます。

東京オリンピックの侍ジャパンを見て欲しかった。 

 私の尊敬する人は複数いるが、その一人である、野村克也さんが2020年2月11日に鬼籍に登られました。驚きと無念を感じました。84歳と言う年齢ですが、もう少し長生きして欲しかったのが私の本音です。プロ野球12球団の監督で教え子であるのは、埼玉西武ライオンズ・辻発彦監督(1996~98年)、東北楽天ゴールデンイーグルス・三木肇監督(1996~98年)、北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹監督(1990年)、阪神タイガース・矢野燿大監督(1999~2001年)、中日ドラゴンズ・与田剛監督(2000年)、東京ヤクルトスワローズ・高津臣吾監督(1991~1998年)と半数の6人。半分が、野村監督の門下生です。(カッコ内は、野村監督の下で選手として在籍した年)それだけでなく、侍ジャパンの監督、稲葉篤紀監督(1995~98年)や他にもコーチ、解説者など、多くの教え子が活躍されています。生前、著書で「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。」とおしゃっていましたが、野球界で、これだけ人を育て、遺した人は他にはいないし、これから先、これほどまでの人が出てくるとは思えません。だからこそ、今年のプロ野球のペナントレース、東京オリンピックの侍ジャパンの活躍を見て欲しかったと思います。哀悼と言う言葉が、今の私の心境です。

財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。」という言葉 

 先程、「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。」と書いたが、この言葉は、「されど、財なくんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し。」と続きます。明治・大正の政治家・後藤新平の残した言葉だそうです。お金がなければ、事業は継続できないし、事業が継続できなければ人材の育てようもない。そもそも、利益が出せない事業は、事業ではない。と、経営の難しさも言っていますが、本当に言いたいのは、その先の「金や実績だけを目標に生きてはいけない。」ということでしょう。「金を稼ぐだけの人が賤しいという意味ではなく、財を成したなら次は実績を目指し、実績を遺したなら次は人材を遺すことを常に考えていかなければならない。」と、意味しているのでしょう。「人を育てることの、得て・不得手に関わらず、地位と名声を手に入れた人の責務である。」との言葉ではないだろうか。と私は考えています。そういう意味でも、野村克也さんは、人間に上中下と付けてはいけないが、上の上の人だと思います。私は、財も実績もないので、まだまだ、野村監督の足元にも及びません。

知将、野村監督 

 個人的に、野村監督のことで、思い出されることはいくつかあります。1992・93年のヤクルトスワローズ対西武ライオンズの日本シリーズ。あの2年連続の7戦までもつれた接戦の連続は、今も、語り草になっています。実際、当時大学生だった私は、テレビ観戦しながら、「何だ?この異様なまでの緊張感は?監督同士が、知略を尽くして、ゲームが固まっている。次のプレーで、ゲームがどう動くかわからない。目が離せない。これぞ、まさに知将!相手が困る事をして来る。」と思いました。野球の面白さを、私に教えてくれたシリーズでした。そして、1995年のヤクルトスワローズ対オリックスバファローズでの、「イチロー封じ」も、試合中だけでなく、試合前から始まっていて、マスコミに「イチローの弱点は、内角高めの速球。」と公言して、第1戦目で、内角高めばかり攻めて、イチローさんのバッティングを狂わせて、本当にイチローを抑えてしまったのです。でも、第5戦でイチローにホームランを打たれてしまい、ゲームに勝って、日本一になったものの、「流石、イチロー」と言う感じにしてしまうところが、少しばかり、野村監督らしい感じもします。2009年のクライマックスステージで楽天イーグルス敗退の後、日本ハムファイターズの両軍で、退任する野村監督を胴上げするシーン。ヤクルトの球団保有50周年を記念したOB戦「スワローズ ドリームゲーム」での代打で打席に立ったシーン。この二つは、本当に、微笑ましいし、厳しい世界を生き抜いてきた人の優しさや温かさを見られて、感動しました。

遺した実績

 選手としての実績は、正直、数字しか知りませんが、その数字も、驚愕するものです。そして、約40年前の当時、45歳まで、現役を続けたことは、現代でも40歳を過ぎて、現役選手でいられる人は稀なことを考えれば、信じられないことです。時代は、違いますが、生でそのプレーを見たかったです。そして、監督としての成績は、3204試合、1565勝1563敗76分勝率.5003。弱小球団と言われるチームを育て上げたことを考えれば、勝率5割を超えているのは、ものすごいことです。2ゲームだけ勝ちが負けを上回っているのも、野村監督らしく、厳しいだけでなく、ユーモアもあり、自身の失敗談も著書にしてしまう、お茶目な感じを表している気がします。

エピソードは、思わず笑ってしまうものも沢山ある。 

 聞いただけのエピソードですが、面白い話は、沢山あります。古田敦也さん、高津臣吾さん、山崎武さん、新庄剛志さんとのエピソードは、面白いだけでなく、為にもなります。気になる方は、色々と調べてみて下さい。古田さんが試合中にも関わらず、野村監督から公開説教を受けていたことも有名な話ですが、「どうせ、怒られるなら、立たされないように、野村監督の前に座ってしまえ。」と思い、本当に試合中、監督の前の位置を陣取ったあたりの古田さんの気の強さを、野村監督は好きだったのだろうなと想像できます。高津さんがクローザーになって、プロ初セーブを挙げた試合で松井秀喜さんに本塁打(プロ第1号)を打たれたとき、「松井がインコースをどれだけ捌けるか?」を試すために、内角の速球を投げるように指示し、試合後「やっぱり、打つのか!」と言ったという話も、かなり奥深いものです。野村監督は、内角速球に対応できることを一流の打者になる条件として、挙げています。「松井が一流かどうか?」を試したわけですね。まさに、一般論を使って出来事の結果を推測する演繹の人で、この結果から「松井は一流」と判断したわけです。自分の目で確かめることを疎かにせず、きちんとやった人なんですね。これって、簡単なことではなく、根気がいることです。新庄剛志さんの話は、笑えます。「新庄 野村 宇宙人」等、検索すると良いでしょう。他の人とのエピソードも、野村監督の懐の深さを、人間の器の大きさを、聖人君主ではなく人間臭さも垣間見えて、思わず、笑ってしまうことでしょう。検索すれば、それらのエピソードは、すぐに目にすることができると思います。是非とも、そうして下さい。

長い間、お疲れさまでした。ありがとうございました。 

 最後に、野村克也様。私如きが言うことも、おこがましいのですが、プロ野球の楽しさだけじゃなく、洞察すること大切さ、指導者とは何か?人間とは何か?人はどうあるべきか?と考えるきっかけを私に与えてくれました。それは、私が人として成長すること促してくれましたし、これからも自分が成長できると思える自信をもたらしてくれました。自分が年齢を重ねて、あなたの偉大さに益々感服致しております。私はあなたが「組織はリーダーの器以上にならない。」と述べた言葉も、私がどうあるべきか?と自問自答を常に繰り返さなければならないと思わせてくれました。私は、あなたには到底及びませんが、少しでもあなたのような温かく、情熱のある、柔軟で、色々なことを許容するだけの心を持てる人間になりたいと思っています。本当に、お疲れさまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

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