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ジョギング
長距離を走ると?
走ると、良いことがいっぱいある?
実は、新型コロナウィルスの影響で自粛生活していた5月頃から、時間があれば、数キロ程度だがジョギングをしている。そうは言っても、時速10㎞にも満たない超スローペースである。それでも、始めたての頃よりは、長く走れるようになった。現在のところ、目標は、速く走ることではなく、長く走ることに設定している。週に4~5日ほど、ジョギングしているわけだが、休息日を設けて体力回復をしないと、身体に疲れが溜まり、仕事に支障来すので、まだまだ鍛え方が足りないのが現状だ。でも、走っていると、血流が良くなり、肩こり・首こりなどの不調が改善されるし、身体を動かすことにより、ストレスが発散されるのを感じる。何より、色々な事を走りながら考えると、結論に導きやすかったり、新たなアイデアが浮かんだりする。部屋に閉じこもって、机に向かう思考回路とは別のものが、開かれる感じがする。そして、大汗をかいた後のシャワーやお風呂、お風呂の中で飲むスポーツ飲料水が至福の時を与えてくれる。
飽き性の僕は、コースが日替わり
僕は、飽き性なので、同じコースを毎日走るのではなく、色々なコースを日替わりで走るスタイルだ。最近は、女房と近所や少し遠くの散歩コースを散歩した後、彼女は家に直帰し、僕は遠回りして走って帰ることも多い。あと、平坦なコースではなく、アップダウンのあるコースを好んで選んでいる。確かに、上り坂はきついが、そのきつさが心地良かったりする。家の近くに急な峠があり、その峠の上り坂をダッシュして頂上まで駆け上がり、下り坂を流して走ったりもしている。ダッシュと言っても、全力ではない、8割くらいの力だ。若い時とは違い、全力疾走すると怪我をしそうなので、ちょっと控えている。続けることが目標のひとつなので、このような飽きない工夫と怪我をしない注意をしている。
若い頃とは、違うので…
怪我をしないために、身体が温まり、ひと汗かくまでは、ダラダラと走っている。いわゆる準備運動である。僕が高校生の時、部活で準備運動をしてから、練習に入ったわけだが、当時の僕は、準備運動の意味が分からなかった。「こんなものただ疲れるだけで、技の習得に関係ない。単なる体力の消耗で、意味がない。」と考えていた。そう考えていたのも無理はない。何故なら、準備運動なしで、いきなり全力で動けたからだ。若さ故の体力である。しかし、今は、いきなり全力疾走したら、恐らく怪我をするし、そもそもが身体が動かない。準備運動して、身体をほぐし、温めないと、全力に近い動きはできないのである。やはり、若さとは素晴らしいと思ってしまう。若いときならば、走破タイムとか全力疾走した距離とか、いわゆるパフォーマンスの質を中心に求めたと思うが、今は、10代、20代の身体ではないので、当時と同じパフォーマンスはできない。それを求めてしまうと、出来なくて悲しく、惨めな気持ちになってしまうだろう。だから、現状、パフォーマンスの質ではなく、持続することに重きを置いている。
続けると体力も自信もつく!
実は、続けていると、不思議なことで、人間というものは、その動きに慣れるもので、段々と走ることのできる距離が伸びて行く。始めたての頃は、5・6㎞が限界だった。しかも、その程度の距離に掛かる時間が1時間弱だった。恥ずかしいほどのスローペースだったわけである。それなのに、体力を消耗しつくしてヘトヘトになっていた。でも、今は、1時間程度であれば、時速8~9㎞なら、余力を持って終了できる。気候にもよるが、休みの日であれば、2時間程度の走破は可能だ。流石に、仕事がある日に、それをしてしまうと授業に悪影響が出そうなので控えている。走れる距離が長くなることは、面白く感じるし、自信にもなる。実際、身体が疲れにくくなった。適度な運動が、良い睡眠をもたらし、その睡眠できちんと体力回復が出来ているのだろう。「身体は資本である。」と実感できている。
身体は資本
「身体は資本」だからこそ、無理はしない。僕は、今年で48歳だ。前述したが、10代・20代の身体ではないから、無理をし過ぎると、次の日までに回復できない。だから、夏の暑い日の35℃を超えるような日中のジョギングは避けていた。夏期講習中は、暑さと忙しさで、なかなか走る時間を取れなかったが、9月になって、走る体力・スタミナを取り戻せた。そんな中、最近、近所の集まりがあり、そこで、「一生懸命、走ってるね。」「暑い中、走っていて大丈夫かい?」「走っていると、段々、長い距離行けるよね。」「何か、大会にでも出るの?」等々、話掛けてもらった。僕の走っている姿を近所の人達が、ちょくちょく目撃していたわけである。その返答は、「仕事に支障が出ないように、無理せず走ってますよ。大会参加は、今のところ考えていないし、そういうレベルではないです。それよりも、ダラダラと長く走ることを目標してます。」というものだった。若い頃なら、近所の人達に見られて恥ずかしいと思ったかもしれないが、今は、別に、見られても何とも思わない。むしろ、ご近所同士、気に掛けてくれていると思うだけだ。それはともかく、今のところは、大会への参加は、全く考えていない。コロナで軒並み中止である状況下であるが、それとは関係なく、大会の出る考えはない。只、ダラダラと長距離を走れるようにするのが、今の目標だ。休日に、2時間強で約20㎞を挑戦して、これはクリアできた。その日は、走り終わったあとも、意外と元気でいられたが、次の日がボロボロで体中が痛く、筋肉が張っていた。当面の目標は、30㎞をダラダラと走破できるようにすることだ。体力をつけて、疲れない身体を無理せずに作っていくのが、一番得たい効果なのである。
目標設定は、本人が納得できれば良い。
こんな低レベルの目標だと、フルマラソンを走るようなレベルの人達から見れば、情けないくらいのものかもしれない。でも、目標設定のレベルは、人それぞれで良いし、同じ人でも、状況によって変わっていくものだ。大事なのは、それを続けることだ。ジョギングをしたからと言って、すぐに痩せるわけでもないし、すぐに体力がつくわけでもないし、すぐに長い距離が走れるようになるわけでもなし、ましては、速く走れるようになるわけでもない。ジワジワと徐々にである。昨日と今日で、大きく変わるものでもない。でも、続けることにより、成長や効果を実感できる。それが喜びである。僕の場合、トレーニングとしては質も量も至らぬものだと認識しているが、僕自身が、現状で納得しているし、今の僕が求めているレベルがこの程度なので、満足している。これで、満足できなくなれば、もっと上のレベルを目指せば良いだけの話である。所詮、仕事ではなく趣味なので、そういう考えで良いと思っている。でも、この趣味が仕事に生きているのは確かである。ジョギングは、体力とスタミナの増強をもたらしてくれた。仕事をしていても、身体が楽なのである。そして、最初の段落に書いたが、仕事のアイデアも走りながら考えたりする。机の上とは、違う発想になる。ホームページの記事も、結構な割合で、記事のネタとして、ジョギング中に思い付いたものも多い。
皆さんも、身体を大切にして下さい。
身体は資本である。身体があるから、頭も使える。動けるから、発想が豊かになると、僕は思う。適度な運動は、身体の調子の良さを与えてくれる。肩こり・首こりがない、緩和されるだけで、どれだけ楽か、肩こりがひどくなると、僕は頭痛がする。こうなると、物事を考えるのも不可能だ。考えることが、仕事で必要とされているのに、そうなれば仕事どころではなくなる。身体の調子が良いことは、仕事の質を向上させることになる。若い頃は、肩こりなるものがなかったし、身体の調子は、ほとんど毎日良かったし、こんなことは思いもしなかったが、今は、「身体が資本」を心底感じている。皆さんも、適度な運動して、資本である身体を大切にして下さいね。